巨匠 伊福部 昭 逝く。

伊福部 昭 死去。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E7%A6%8F%E9%83%A8%E6%98%AD
映画「ゴジラ」の音楽で知られる日本作曲界の巨匠、伊福部昭さん(いふくべ・あきら、元東京音楽大学学長)が8日午後10時23分、多臓器不全のため東京都目黒区の病院で死去した。91歳。葬儀・告別式は14日午前10時から東京都品川区西五反田5ノ32ノ20、桐ケ谷斎場で。葬儀委員長は東京芸大名誉教授の松村禎三氏。喪主は長男極(きわみ)氏。
90歳の誕生日を迎えた2004年5月に都内で開かれた記念演奏会で「(ゴジラのことは)自分の身のように感じている」と元気な姿を見せていた。ことし1月から腸閉塞(へいそく)のため都内の病院に入院していた。

 北海道釧路市生まれ。アイヌ音楽樺太のギリヤーク民族の音楽を研究、「民族の特異性を経て普遍的な人間性に至る」ことを作曲理念に据え、ほぼ独学で民族色豊かな作品を作り出した。北海道帝国大学(現北海道大学農学部在学中から、作曲活動を始め、昭和21年に東京音楽学校(現東京芸大)講師に就任、黛敏郎氏や芥川也寸志氏(ともに故人)ら多くの作曲家を育てた。
1935(昭和10)年、21歳の時に「日本狂詩曲」でパリのチェレプニン賞に入選。国際的な脚光を浴びた。卒業後は北海道で森林事務所勤務などをしながら、作曲を続け、「土俗的三連画」などの作品を発表。戦後、東京音楽学校(現東京芸術大学)講師に就任した。来日したロシア出身の作曲家、チェレプニンに近代管弦楽法を師事。「土俗的三連画」、「オホツク海」など独自の交響作品を次々に完成させた。
  民族的な作曲姿勢を貫き、「釈迦」などを作曲。東京音楽学校講師、東京音楽大学学長などを務め、故・芥川也寸志、故・黛敏郎松村禎三、故・石井真木、三木稔など多くの作曲家を育てた。
 「寄せ集めの文化では実を結ばない」が持論。幼少期から北海道で親しんだアイヌ音楽に大きな影響を受け、傑作といわれる「日本狂詩曲」など管弦楽や舞踊音楽も多数作曲した。51年から62年まで東京音楽大学長。平成15年に文化功労者に選ばれた

 22年谷口千吉監督の「銀嶺の果て」で初めて映画音楽を担当、以降わが国初の本格的な怪獣映画「ゴジラ」、「大魔神」や「座頭市」シリーズなど話題作の音楽を次々に作曲、毎日映画コンクール音楽賞曲「ビルマの竪琴」、「お吟さま」など、作った映画音楽は300を超える。中でも54年の「ゴジラ」のテーマ曲は、印象的なフレーズの繰り返しで“伊福部節”とも呼ばれる同じリズムの繰り返しを効果的に使った野性的で骨太の音楽で怪獣の恐ろしさを表現。映画音楽の一つの手本となり、外国映画にも多大な影響を与えた。
紫綬褒章。勲三等瑞宝章。03年に文化功労者