栃木リンチ殺人事件

 栃木県並びに、須藤正和をリンチの末殺害に及んだ被告等と、その監督義務者を被告とした損害賠償請求裁判が、4月12日宇都宮地裁に於いて下されました。

被告栃木県に対し、宇都宮地裁は権限の不行使の違法性を認め、さらに、正和の死亡との因果関係まで認める画期的な判断が示され、神戸大院生殺害事件に続く2例目の勝訴判決が下されました。

「いまさら誰を責めても愛しい正和は戻って来てはくれないでしょう。けれども、事件をこのままうやむやにしたくありません。
いえ、正和が受けた苦しみの深さを思うと、絶対うやむやにできないのです。

犯人たちはもちろんのこと、未成年である彼らの監督責任を怠った親たちの責任と、そして、本来なすべき仕事をしなかった警察に対し、私の怒りはおさまることがありません。」(父 須藤光男さんの言葉)

沸き立つ怒り悲しみ
どう表現したら良いのでしょうか。
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage272.htm(栃木・リンチ殺人事件)
http://park17.wakwak.com/~tochigi-rinchi/index.html(「わが子、正和よ」)
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/totigilynch.htm栃木リンチ殺人事件
http://www.akuroki.jp/tochigi_01.html栃木リンチ殺人事件

※事件概要・抜粋
・至近距離から火炎放射(殺虫剤に火をつけた)、「熱湯コマーシャル(最高温度の熱湯かけ)」…皮膚はただれ、腐敗。
 容赦ない暴行。金を引き出させて犯人らは豪遊。リーダー格は殺害など仲間にやらせる。
・犯人たちは「15年逃げきれば時効になる」とビールで乾杯。
・警察は父親に「息子はおもしろおかしく遊んでるんじゃないの?」と言って動かなかった。
・リーダー格の父親は栃木県警の係長。
・犯人らは、被害者が父にかけた電話に出た警官の言葉がもとで、殺意を持った。
・裁判で「彼女と一緒に、須藤君の分まで長生きしたいです」発言。
日産自動車は事件の概要を知っていながら未だに真摯な態度を見せず。事件として扱わないような態度をとった。

文芸春秋8月号 栃木リンチ殺人 両親の手記   みんな嘘をついた

(前半部は須藤正和さんとその両親に関する記述がある。その後、H、M、Uの三人が正和さんを監禁、凄惨なリンチを行い、正和さんを利用して両親に金を脅し取る経緯等が書かれている。警察に行っても事件にならないと断られ、両親はもはやなすすべがないところに、さらに犯人達から金の要求が入る)

 もう解約できる保険もなくなり、借金をしました。理容業組合の支部長が二つ返事で保証人の印鑑を押してくれたときには、ありがたくて涙が出ました。
 正和は、28日に渋谷から宇都宮に連れてこられ、市内のホテルを転々と連れ回されていました。リンチは湯沸かし器の熱湯をコップに入れたものを浴びせかけるというものに変わっていました。湯沸かし器の湯は熱湯シャワーのリンチ以上に熱く、90℃もあったそうです。
 さらに、彼らは広範囲にわたって焼けただれた正和の頭や背中を靴べらでその靴べらが 折れるまで殴打したり、無理矢理大量のピザを食べさせたりしています。28日からはリンチに渋谷からついてきた高校生のTも加わっています。
 4回目の公判では、この頃のリンチの様子について、検察官とUのやり取りがありました。
「須藤さんはどんな様子でしたか」
「皮がはがれてぼろぼろになっていた」
「どう思いましたか」
「どうなってもいいと思った」
「苦しむ須藤さんを見てどういう気持ちでしたか」
「面白かった」
 私ははらわたが煮え操り返り、叫びだしそうになりました。
 もはや正和には正常な思考も感覚も残っていなかったのではないかと思います。連日かかってくる電話も、おカネちょうだーい、だめなんだー、おカネ、おカネ・・・あの声は普通ではなかったです。
正和の身体は至る所に重度の火傷ができて、べろべろに皮膚がはがれていた。
耳はちぎれ、歯は砕け、眼球はつぶれていた。
陰茎、睾丸部は原型をとどめないほどで、リンチのすさまじさを物語っていた。
腐敗は生きてる間から始まっていたという。
その凄惨な死体をみて、遺族の両親は耐え切れずに錯乱し、近くの壁を叩き始めたという。
無理もない話だ。
次の主犯格Aの言葉に彼の全てが込められている。
「早く出所して彼女と結婚して一緒になって、死んだ須藤君の分まで幸せになりたいです」
とても清々しい表情で、何一つ恥じることなく、そう高らかに言い放った。
Aは、なにも挑発しようとしたのではない。
本気で自分が幸せになる事が一番の謝罪だと考えたと言う。
結果的に遺族両親の神経を逆なでする事になったが、それもわからないほどの無神経さだったと言う事だ。
事件に巻き込まれなければ、正和さんも平成12年―世紀末に20歳を迎えていたはずだった。そこに3人の少年は強引に割り込んできたのだ。

正和さんは、会社の労組が窓口になった25年満期の生命保険に加入していた。支払い額は月々3000円。
正和さんの死後、須藤さんの両親に死亡保険金が下りた。
受取人の名義を見て、須藤さんの両親は号泣した。

正和さんの直筆で、受取人の欄に書かれていたのは、「未来の妻子―」。
未来の妻子はおろか、20代のいちばん楽しい時間も見ずに、正和さんはわずか19年間の思い出と、未来の妻子に託した保険金を残して逝った…。


こいつら、ホントに許せません!